ぱぴこよこいの記録

38歳、赤ちゃん待ち、日本から遠く離れた国在住。30代中盤までキャリア中心、海外在住の年下夫との出逢いから、退職→引越し→専業主婦&妊活スタート。7月ぱぴこが来てくれ、9月空に帰っていった。ぱぴこの弟妹を2016年、38歳で産むべく、楽しく妊活中

8w2d と帰国

8w2d つわり軽め、時々胃がむかむか、食前、食後がきつくて横になる

家でゆったり 帰国まであと2日

 

昨日は帰国前の最後の検診。

お昼にエコーに行って、最後のDr.Elle。ぱぴおは先週の倍になっていて、今1.9cm。心拍も元気に聞こえ、子宮口もちゃんと閉じてるし長いから(何が?)、飛行機乗っても大丈夫とのこと。よかった。

こっちは病院に行く、と言うと総合病院に行って諸々完結する訳ではなく、それぞれ別の場所にある専門の医師やスタッフのところに個別で予約して行き、それぞれの結果を持って最終的に医師に会う、という形。とっても面倒。例えば、最初に妊娠検査薬で陽性が出た時、まず外国人がよく使うフランス大使館経営のジェネラルな病院に行き、そこで出て来た医師(内科とか外科とかランダム)に陽性でた、と報告。そこで紹介状を書いてもらい、血液ラボ?みたいなところ(病院から20分くらい)へ予約し、その紹介状を渡し血液検査してもらい、後日結果を取りに行く。これでhcgの値を確認、そして次にエコーだけのDr.Elleのところへ行き(これまた病院から20分くらい)エコーで確認、そのふたつの結果を持って、最初の病院に戻り、初めて産婦人科の先生と対面、という流れ。これで1週間かかる。

そもそも妊娠くらいで病院に行く人たちは少ないし、お金がなくて行けない人たちばかりだから、病院の機能だったり効率だったりは大して求められない。

 

エコーでDr.Elleから許可が出て、その後フランス経営の病院で産婦人科最終チェック。

Dr.Moluとの8ヶ月ぶりの再会。

彼女はこの国の人で、週一バイトで来ている研修医を終えたばかりの若い産婦人科医。昨年夏ぱぴこの時、人生初の妊娠が分かり、9週、10週、11週と進む中、エコーで異常が見つかり、Dr.Moluにお世話になった。彼女は常に冷静で、医療事情もとても悪い中親身になって私たちの為にいろいろと調べてくれ、この先、生きられる可能性は低い、と診断した後も、最後私が諦めきれず日本に帰国し納得したい、と伝えたときも、私を尊重してくれ帰国の準備をいろいろとしてくれた。この国の母国語は仏語で彼女も仏語を話すけど、私にはゆっくりの仏語と拙い英語で話してくれ、最後には、辞書を見ながら日本へ行った時日本の産婦人科医に渡す為の往診歴や経緯、彼女なりの見解を細かく書いて私に渡してくれた。不得意な英語で、紙一枚、表裏びっしり。

私は日本でぱぴこの手術が終わり、2ヶ月日本で静養し、こっちに帰ってきた時、そしてその後夫と話し合い、今のプロジェクトの契約延長はせず日本に5月に帰国すると決めた時から、ここにいる間にもう一度Dr.Moluに妊娠の報告をしたい、と思って妊活に取り組んできた。そして夫より一足先に帰国する3日前、その思いを叶えることが出来た。

診察室に入った私は、Dr.Moluを見た途端涙が出て来て、ただただいろんなことが話したくて、逆に黙ってしまった。そんな私を、Dr.Moluは大きな(本当に大きい)身体で思いきりぎゅーっと抱きしめてくれ、Welcome backと一言、言ってくれた。私、更に号泣。

その後、昨年この国を出てからのぱぴこの経過、日本の医師にもぱぴこは100%生きられないと言われたこと、彼らの診断は羊膜策症候群で、2万例に1くらいの確率でしか起こらないこと、医療事情の悪い国にも関わらず、早い段階でのDr.Moluの診断に日本人医師も驚いていたこと、私は昨年末にこっちに帰っていたけど、精神的に準備が出来無くて連絡出来なかったこと、今週末に日本へ帰国すること、もうここには帰ってこないこと、それまでにあなたに妊娠報告したかったこと、そして第2子が来てくれ、今8週であることを伝えた。

Dr.Moluは、i think about you a lot と言い、渡したエコーの詳細をじっくり読み、今回のフライトで気をつけること等いろいろアドバイスをくれた。それから、ふたりでお互いの家族のことや今後のキャリア(私が以前援助団体で働いていたことを話してたから)、プライベートなことをたくさんたくさんおしゃべりし、連絡先を交換して部屋を出た。大きなハグをし、お互い、Good luck、と言い合った。

 帰るときも泣いた私、本当に良い先生に出会えてよかった。

 

さあ、30時間のフライト、ぱぴおと一緒にがんばろう。そしてその前にパッキング!

 

Dr.Elleの病院の待合室

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エコグラフィー室(ベニヤ板で囲まれているだけ)

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7w0d と長い移動

7w0d 家でゆっくり

つわりは軽め 朝胃がむかむか、だるーいってなるくらい

 

10日後に来てくださいとDr.Elleに言われていたので、昨日エコー行って来た。夫も一緒に来てくれた。心拍確認の山場、前回は一緒に行けなかったからどうしても最初の心音聞いてほしかった。

大丈夫か、元気か、生きてるか、不安になりながら、エコーで確認、心拍、ちゃんと聞こえた。とくとくとくとく。早いペースでちゃんと生きててくれた。

今日の大きさで、私の計算と合って来た。今7w、来週3ヶ月。

ぱぴこの時は10wくらいになっていろいろ発覚、緊急帰国になったかし、今年39の高齢だから、まだまだ安心は出来ないけど、まずは心拍聞けて本当によかった!!!!

 

来週土曜にひとりで帰国。パリ経由で約30時間、到着は月曜。成田に着いてからも実家まで新幹線に乗り、、、と、とにかく長旅。いま受けてる会社たちも受かると更に面接移動しなきゃいけないし、とにかく安定期まで母はぱぴおをちゃんと守る!

今週か来週産婦人科に初めて行って、エコーは来週帰国直前にもう一回。

無事に行こうー。

D37 と 陽性記録

D37 高温期20日目 ずっと37度超え

 

先週末、明らかにおかしな下腹部の痛みと胸の張り、そして胃のむかむか。

基礎体温を毎日測っていても高温期は継続、前回の経験からこれは、とひとり確信。生理予定日のあたり(と言っても周期ばらばらだからいつかわからん)に夫と検査薬。土曜の朝。本当はもう少し待ってから試そうと思ってたけど、来週旅行の予定だし、毎週通ってるヨガに行っていいものかの判断もつかず、帰国まであと1ヶ月で持って来た検査薬も2本残ってるし、と、えいや、でやってみた。そして何より夫がいる休日、一緒に結果を見たかった。

確認サインが出る前にみるみる2本線。ものの15秒。くっきり陽性。前回のことを思い出し、今回までの努力を思い返し、夫と抱き合い、私涙、夫も涙。

その頃4週、胸の張り(乳首が痛くなる)、下腹部の突っ張り、胃のむかむか、そして蕁麻疹!これがひどくなった。1日2回、3回出る。

エコーは少々高いから、心拍確認出来るかもしれない7週くらい待ってからにしようかなーと思ってたけど、5週に入って(たぶん)胸の張りが治まり、身体の熱っぽいのも無くなり、お腹もぜーんぜん痛くなくなって、ありゃあ、これは科学流産かあ、と意気消沈、朝仕事に行く夫に伝え、まあパピオの運命だし、と納得するようにし、でも一応今日エコー行ってみるね、と午後いつものDr.Elleのところへ。いつもかなり混んでるけど、今日は私の前に一人だけ。説明し、エコーで見てみたら体のう確認。

あれ?嬉しくてちょっと泣いて、Dr.Elleにティッシュもらったけど、このすべての症状が消えたのは何なんだ?Dr.はそんなのラッキーじゃない、と言ってたけど。

 

まだまだ安心は出来ない。次は10日後の心拍確認目標、その後病院に行こうと思う。

帰国まであと3週間、転職活動も面接とか入ってきて、優先順位がよく分からなくなるけど、まずは健康にムリなく、がんばれることをがんばる。週末は旅行。はしゃぎすぎないようにパピオを守る。仮の予定日は、11月24日。

D21 と一泊旅行

D21 37.00 高温期4?日目

運動何もなし

 

先週末は一泊旅行。こっちに来て1年、2度目に街から出た。

片道5時間、当初行きたいと思っていたところ全部には行けなかったけど、まだ残る王国等行けて、リフレッシュ出来た。

その前日、排卵日付近、夫は飲み会、帰宅は遅くタイミング取れず、それも3日間も。私怒り、またストレス。まあ、それも含めてのタイミングだから、と、夫の平謝りと共に、今では落ち着いたし、来るときは来るし、と考えられるけど。

 

再就職活動が乗って来たのもあり。

来月帰国かあ。ベビが先か、仕事が先か。38歳。

D16 と浮き沈み

D16 36.68 高温期?

ヨガレッスン1時間半

 

昨晩、就寝前に全身一気に蕁麻疹。

痒くて痒くて眠れずストレス、夫にあたる私。

溜まってるなあ。。。

子づくりは積極的に取り組んでる夫、わからないなりに勉強し、私の言うことにも一字一句耳を傾け、私を理解し、高度医療にも果てには養子縁組にもすべてに於いて私を尊重し、一緒に考えていこうという姿勢。はあ、こう改めて考えると、なんて理解あるパートナー、この人と結婚出来て本当によかった。私はなんてラッキーなんだ。

なのに。体中に溜まったストレスは行き場を失い、ターゲットは夫へ。

子どもが欲しくて専業主婦になって、1年経ってもまだ手に入らず。これがいちばんのストレスなんだろうなあ。この先どれくらいかかるのかなあ。どのくらい待てばいいのかなあ。本当に来てくれるのかなあ。子どもがほしいとふたりで願って、でも来なかった時一体どうしたらいいのかなあ。

仕事や楽しい趣味ややり甲斐あるボランティアやなんでも話せる友人や楽しい海外経験、そしてアフリカにいたら来てくれるでしょう、と楽観的に考えていた子ども、描いていたものは何も手に入らず。引きこもって過ごす毎日、私は何をしてるんだろう。空虚なお昼な時間、誰とも話さず社会とどんどん離れていってる感覚。ひとりぼっちと思いがちなネガティブな心。

ないものを挙げたら切りがない。だけど、あるものを考えたらねえ。

心から信頼出来る、私をいちばん理解して大切にしてくれる一生のパートナーがいて、日本の家族みんな元気で、お金に困ってる訳じゃなし、毎日(自分でつくる)おいしいごはんが食べられて、充分幸せじゃないか。ぱぴこも、ちゃんと来てくれたじゃないか。仕事して結婚して海外に夫駐在でみんなが経験出来ないことをしてる。充分恵まれてるじゃないか。

 

ないものよりあるものを。

おいしいごはんと健康な心と身体を。

大好きな夫と笑顔でいたら、ぱぴおも来るじゃないか。

D10 と優先順位

D10 36.61

今週2回 ヨガレッスン1時間半

 

アラフォー、絶賛ネットで転職活動中。

昨年1月に正社員として満足して働いていた企業を退職、夫の仕事でこっちに越して来て2年目。退職した時、37歳、現在38歳。結婚して、ふたりとも子どもが欲しく、夫もあと1年以上は帰国予定なし。やり甲斐ある仕事ができていたけど、子どもを望むなら時間がない。荷物まとめてさっさとこっちに来た。

それから1年。得たものはなんだろう。そして、これから手に入れたいものは?

ここでの生活、とにかく不満だらけ。夫と毎日楽しく暮らせていること、夫が優しく、本当に私を大切にしてくれ、なんでもやってくれ、何不自由なく(しょせん後進国、手に入らないものとか生活に諸々不自由だらけではあるけど)生活出来ていることに、心から感謝なのだけど。

毎日ヒマ。することがない。充実した駐在生活を夢見てたけど、結局夢だった。社会と断絶されてることがストレスで仕方ない。こんな風に考えること自体、日々もったいないと思う。沸々と考えるだけの毎日。

だからこそ、帰国が決まり、やったー、仕事出来る!自分らしく働ける!と張り切って就職活動してるのだけど。

そもそも、なんで辞めて来たのだ?

自分らしくってなんだろう?

この1年で得たものはなんだ?

 

ぱぴこが来て、ぱぴこが去っていった。

子どもが欲しいと望み、辞めた仕事はなんだったのだ?

今また仕事を探す理由は?

 

あったはずの5年後、10年後の自分のビジョンが消えてごちゃ混ぜ。先が見えない。

優先順位がばらばらで、何がしたいのか一体全体わからなくなっている自分がいる。

D2 と 日々の生活

D2 36.42 低温期

生理2日目なのでゆっくり 断水、停電つづく

 

昨日でリセット。

先周期の高温期が15日継続したのは、この暑い気温のせいか、先月から飲み始めた漢方のおかげか、はたまた。周期は32日、このまま安定してくれれば期待大。

月経血もいつもよりさらさらな気がする。いつものように塊とかあまり出てこないし。何はともあれ、急がば回れ、焦って、とにかく早く!よりも、健康になって受け入れられるようになった状態で迎えたい。2016年内目標は変わらず。相反して、今は再就職活動に傾倒。

 

毎日ヒマ。とにかくヒマ。ヨガも当分お休みだし、4月の私の引っ越し、5月の夫の引っ越しに向け、できることをいろいろリストアップし、少々動き出さないと、日本帰国前に腐ってしまう。転職サイトばーっかり見てるのもなんだから、アフリカ布買いに行ったり、今できることをしよう。ここでの生活も、あと2か月。